最もわかりやすい例は越後の米である。なにしろ物心ついてこの方、毎日欠かさず食べ続けている唯一の食品であるから、舌はごまかせぬ。ホテルでも旅館でも、いや町なかの食堂でも駅弁でさえも、一口食べて「うまい」と思う。
その感慨を、新潟競馬場に向かうタクシーの中で語ったところ、運転手さんは驚愕の答を口にした。
「そりゃお客さん、一番うんめえ米はこっつで食うから」
青田が左右に地平まで続く道であった。事実か冗談かはわからぬが、つまり最も出来のよい米は地元で消費するらしい。
「え、そうなの?」「よがったら、送りますけど」
本業は農家で、農閑期にタクシーを運転しているという。そうと聞けば、事実か冗談かというより、セールストークのようにも思えた。しかし、聞き捨てならぬ。市場に出回らぬ「うんめえ米」を、分けてくれるという話である。
はたして、約束通り送られてきたその年の新米は、頬が落ちるほどうまかった。やや高めの代金は文句をつけずに振り込んだ。
この一件により、冒頭に述べた持論はいっそう強固になった。きっとみなさん、最もおいしいものは自分たちで食べちまうにちがいない。よって現地に行って食べるべきである、と。
浅田次郎作家
1951年、東京生まれ。1995年『地下鉄(メトロ)に乗って』で吉川英治文学新人賞、1997年『鉄道員(ぽっぽや)』で直木賞、2000年『壬生義士伝』で柴田錬三郎賞など、数々の文学賞を受賞。幾多のベストセラー作品を執筆。