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旬の味を自宅で頬張る贅沢
中原一歩
ノンフィクション作家

七月の終わりから八月の声を聞く頃、市場で働く人々から「魚河岸(かし)」の愛称で呼ばれている豊洲市場の競り場には、色とりどりの「初荷札」と呼ばれる札をぶら下げた縁起物の青笹が出回る。
そもそも「初荷」とは、新年最初に取引される品物のことで、それが転じて今では春夏秋冬、例えば「初鰹」のように今シーズン最初に取引される特別な季節の品物を指すようになった。夏の盛りの初荷札と言えば、何をおいても新子だ。新子とはコハダの幼魚名で、江戸っ子はこれに目がなかった。今でも魚河岸に初荷が入った日は、夜明け前から大の大人が「新子だ、新子だ」とはしゃいでいて、ちょっとしたお祭り騒ぎになる。
時を同じくして、日本橋界隈の昔ながらの鮨屋で一杯やっていると、口開け早々「新子あるかい」と前のめりで駆け込んでくる常連客に遭遇することがある。通な客はこの時期、握りの横綱はマグロではなく新子だと心得ているのだ。
新子の初荷から遅れること数週間。今度は江戸前の鮨、天ぷらに欠かすことができない墨烏賊の子、新烏賊の季節がやってくる。サクッとした歯切れの良さが身上の墨烏賊とは対照的に、孵化したばかりの新烏賊は限りなく透明で柔らかく、ピュアな味わいがする。新子と同じく、その大きさは大人の親指大しかないので、一杯の烏賊で酢飯を包むようにして握る。鮮度がいい品物であれば、わさびが透けて見えるほどだ。
しかし、稀少な新子にしても、新烏賊にしても、その「旬」は初荷から数週間しかない。なぜならば、日を追うごとに成長し、もはや新子とは呼べないサイズになるからだ。

文春マルシェ限定 北海道産いくら醤油漬 4パック
文春マルシェ限定 北海道産いくら醤油漬 4パック
¥5,940(税込)
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そう考えると盛夏から初秋にかけて、日本近海は生命のカーニバルの時期を迎える。いくつもの無限の命が誕生し、そして躍動するのだ。この時期、海に小さな命が溢れかえる様子を、漁師は「海に魚が沸く」と形容する。まさに生々流転。そして、九月に入ると新子、新烏賊の季節は終わり、次は宝石のような輝きを放ついくらの季節が到来する。
この時期になると、私は毎年、北の大地に思いを馳せる。それは、十年ほど前に取材をした「鮭バイ」のことだ。北海道はオホーツクの羅臼。産卵のために川を遡上する鮭を河口近くの海で待ち構え、定置網を使って水揚げする漁師に密着した。捕れた鮭はその日のうちに加工に回すのだが、その作業のために全国から集められたアルバイトが通称「鮭バイ」だ。中にはアルバイト歴十年以上のベテランもいて、彼らは毎年、鮭のシーズンになるとご当地に「戻ってくる」のだという。
この鮭バイ、聞こえはいいが朝から晩までひたすら立ちっぱなしの重労働だ。鮭の頭と内臓を取り出し箱詰めするドレス部隊、正月用の新巻鮭を仕込む新巻部隊。鮭の腹から生筋子を取り出すいくらチームなど、徹底した分業制が敷かれている。初心者は大ベテランの地元のオバチャンの教えを乞う。鮭のシーズンは二ヶ月と短い。季節に追い立てられるようにして、この地道な作業が十月末まで続く。
もう、鮭の面(つら)を拝むのはごめんだ。わずか一週間の体験取材で音をあげた私だったが、それでも、地元の方に振る舞ってもらったいくらの味は忘れられない。それは、採れたてのいくらを醤油に漬け込んだもので、これを白飯にこれでもかとぶっかけて掻き込む。まさに秋を頬張っている感覚で、一日の疲れは即、吹き飛んだ。以来、私はいくらが大好物になった。さすがに毎年、北海道まで足を延ばすことはできないが、我が家では九月半ばになると魚河岸で生筋子を調達し、自家製のいくらの醤油漬けを作って友人に振る舞うのが恒例になっている。
ただひとつ、問題なのは、いくらの旬もこれまた秋口の二ヶ月半と短いことだ。好物は思い立った時、いつでも食べたいではないか。そんな私のワガママを叶えてくれる商品に巡り会った。「文春マルシェ限定 北海道産いくら醤油漬」だ。

通販のいくらなのに、生と全く遜色がない

これさえあれば一年中、いくらを楽しむことができる。北海道産のいくらを醤油に漬け込み、急速冷凍したものだが、実はこれまでも同じような商品を何度か取り寄せたことがあった。しかし、解凍した時、肝心のいくらの粒が流れて、ダレてしまうことが多かった。ところが、件の商品は味も見てくれも、生と全く遜色がない。しかも、茶碗一膳分の小分けになっているので、自然解凍もそう時間はかからない。
これを知ってからというもの、深夜、台所に忍び込んでいくら丼を掻っ込むのが密かな楽しみとなった。酒を飲んだ後であれば、鰹と昆布で上等な出汁をひき、極めてシンプルな卵雑炊を作り、最後にいくらをのせていくら雑炊と洒落込んでもいい。こうしたとっておきを常備さえしていれば、友人を招いたパーティーもお手のものだ。オイルベースのペペロンチーノを大皿に盛り、最後に食卓でこれでもかといくらをトッピングして、振る舞った時には食卓から歓声が上がった。いくらは調理次第でどんな料理にも華を添えるのだ。
新子、新烏賊、新いくら……。今年も季節は着実に巡っている。胸が高鳴る初物をお気に入りの店で味わうもよし。また、自宅でとっておきの逸品を酒のアテに、新米のお供に頬張るもよし。ああ、想像するだけでまた食べたくなってきた。

中原一歩

profile

中原一歩ノンフィクション作家

1977年佐賀県生まれ。社会や政治について雑誌、Webで執筆。潜入事件取材からお笑いの考察まで幅広くこなす。ライフワークは「食と職人」のルポ。著書は『最後の職人 池波正太郎が愛した近藤文夫』『小林カツ代伝 私が死んでもレシピは残る』『マグロの最高峰』『㐂寿司のすべて。』など多数。

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