美味しさ爛鰻
鰻の食歴は豊富であると自負している。鰻には申し訳ないが年季も入っている。
土用の丑というが、夏に限らず、秋・冬でも食す。「天然のうなぎの旬は、身に脂が乗る秋から初冬の時期です。うなぎは水温が下がると冬眠に入る性質があり、冬場に向けて脂が乗るようになるためです」と物の本で読んだ。
捌き方は、関西では尾頭付き腹開き、関東では武士の切腹をイメージするので腹開きは忌避され背開きとする。
焼き方も関西はもっぱら焼きに徹するので香りが濃厚。
関東風蒲焼きは鰻を蒸してから焼き上げる。したがって柔らかい。
ザ・タイガースと千日前のうな丼
僕と鰻の関わりを少し披瀝したい。
1966年2月、ザ・タイガースの前身ザ・ファニーズは当時のバンドにとって東京進出の登竜門であった大阪ミナミのジャズ喫茶「ナンバ一番」のオーディションに合格した。
近くの千日前に織田作之助の「夫婦善哉」にも登場する老舗の鰻屋があった。
ナンバ一番に初出演した時、初ギャラを持ってその老舗に出かけメンバー全員で「うな丼」を注文した。出てきた丼の器を開けて目に飛び込んできたのはタレのかかったご飯だけであったから大騒動になった。店の人に問うと鰻はご飯の中に入っているとの事。ようやく事の真相が分って美味しく頂き、大満足した。
岸部一徳はこの時の代金、鰻の大小など今でもしっかり覚えていて、並150円、中200円、特上250円、我々が食したのは並みだったと言う。
特上ならご飯の上にも鰻が乗っていた。そのころは貴乃花、もとい高嶺の花。
ナンバ一番では日に日にファンが増えて、出演する回数も増えていったので京都に帰るのが大変になった。そこで西成ドヤ街からほど近い岸里におんぼろアパートを借りて合宿する事にした。
三畳間を二つと階段下の部屋、三つの部屋を借りて、沢田研二と森本太郎、岸部一徳と僕(瞳みのる)、加橋かつみは一人部屋に分かれて、長屋の鰻の寝床よろしく住んだ。
このアパートの近くに夫婦二人で切り盛りしているこぢんまりした寿司屋があった。僕らはここにも足しげく通った。
沢田研二は1991年、デビュー25周年の特番で「青春プレーバック」と称してこの店を訪問して鰻の握りを注文して懐かしがっていた。
店の名物、鰻の握りはメンバー全員の大好物であった。
店主は「皆さん、食べ盛りでお腹が空いてはったやろから、ご飯を大きく握ってあげていた」と話していた。

にょろ助 銀座 国産うなぎ(蒲焼/白焼き)各1尾
¥7,800(税込)
カートに入れる
ザ・タイガースを解散してから慶應義塾大学に入学し、1年生の夏、旧軽井沢の柴田錬三郎先生のお宅で書生として滞在した。先生が出前でとってくださる鰻は最高のご馳走だった。
大学を卒業して1977年から33年間教鞭を執った慶應高校教員時代のある日の国語の授業、とある生徒が田山花袋の小説『蒲団』を「たやまはなぶくろの『かば焼き』」と読んで生徒一同大爆笑。
まだ教員をしていた2008年の冬、ザ・タイガースの初代マネージャーだった中井國二さんの計らいで37年ぶりに岸部一徳、森本太郎、沢田研二と再会した。その翌年、中井さんと一緒に行った有楽町の鰻屋。ついでながら葛飾柴又では、夏目漱石などに愛された名店もその歴史を閉じたと聞く。中井さんは2011年、我々が再び一緒にステージに立つ1か月前に亡くなられた。残念でならない。
京都、久留米、高知、名古屋、北京の思い出
地方でも方々で鰻を食してきた。
故郷京都で印象に残っているのは、三十三間堂近くの秘伝のぶつ切り骨抜き鰻を出す店である。
まず、ぶつ切りを庄内麩などと食べ、その後出汁を雑炊にする。
その後中国で鰻を食べたとき、この店に似ていると思った。
久留米
檀一雄『火宅の人』に登場する運河沿いの老舗は、蒸さないで濃いめのたれで焼く。
高知
はりまや橋近くの四万十川の天然鰻の店。
2012年、沢田研二のコンサート(加橋かつみ以外のメンバーがそろったので「ほぼタイガースコンサート」と呼ばれている)にゲスト出演した折、メンバー全員で食べに行った。
名古屋
デパートに入っているひつまぶしの店。
やはり「ほぼタイガースコンサート」の楽屋に取り寄せた。
ザ・タイガースの面々は全員いつまでも鰻が大好物なのだ。
北京
ぶつ切り鰻は泥鰌のようでやや土臭い。
飼料が、上海ガニと同じく屍肉、ホルモン剤や抗生物質といった薬物を使用しているのではないかと言われていて、かなり心配だったので北京留学中は、日本から鰻の真空パックを送ってもらったり、一時帰国の際は東京で買って行ったりした。
中華圏の人はかば焼きが大好きである。味醂と醤油の焦げた匂いは焼き鳥の匂い同様、焼きそば・お好み焼きのソース焦げる匂い、確かに人を惹き付けてやまないようだ。
スタミナ補給、ビタミンA、視力回復、鰻は夏バテを回復する食物だ。
関西では鰻のことを「まむし」という。食べれば余程精力がつくとの意味からか。「まむし」や「すっぽん」並みの精力か。
その語源は諸説あり、ご飯にうなぎを「まぶす」ことからという説や、うなぎを蒸して油を抜く「真蒸す」からという説なども言われている。
夕食前、僕と鰻の関わりを書いていると、無性に鰻が食べたくなってきた。
鰻膳と。

四万十うなぎの蒲焼き・塩うなぎセット
¥6,437(税込)
カートに入れる
今回「文春マルシェ」の関東風、関西風両方の鰻を頂く事になったが、そのまま温めただけではもったいない。
料理好きを自負するところなのでアレンジを試みた。
蒲焼と白焼き両方が入っているので様々にアイデアが浮かんだ。
鰻尽くし第1弾。
関東風の四万十川の鰻を素材に、白焼はわさび醤油で。
軽く蒸したら脂が出てサウナに入った鰻、これだけだと少し脂が強いのではと、添えに山芋、これが見事に合ってサッパリと頂いた。
鰻に適度な弾力があって歯応えが半端ない。
次いで、蒲焼。
一匹の一部を、割愛して鰻ざく、これはあっさり三杯酢で、ウザクない。
お待ちかね、蒲焼。
白焼より焼きが回った鰻。それに特製のタレ付き、もうご飯は一膳で充膳。
満足鰻足。生きていてよかった。まさに至福のひと時。
鰻尽くし第2弾。
関西風に調理された鰻をアレンジして東京で食す。
関西風は焼き、焼き、焼きで関東のように蒸さない。
うなぎ本来の香ばしい旨味溢れる味わい。
今回は、鰻の八幡巻きにして、蒸さないでそのものを味わう。
鰻は牛蒡との組み合わせは、柳川鍋ですでに知られているが、厚切りの牛蒡がまことに合う。
付け合わせのタレを塗ってオーブントースターに入れて弱火で丹念に焼いた。
牛蒡は先に鰹昆布だしで煮てから鰻の蒲焼を巻きつける。
その際、鰻が大きければ縦に割いて絡むようにする。
食べてみたが一本では物足りなさを感じるぐらい何本でも食べられそうだ。
もっぱら焼きに徹する白焼は、嬉しい尾頭付きだった。丸ごと土鍋に入れ、先の牛蒡を煮た汁で「鰻雑炊」にした。卵でとじて三つ葉を散らす。
今日も鰻を満喫した。
自信鰻鰻。
鰻尽くし第3弾。
鰻も残り少なくなったが最後まで味わい尽くす。
骨までのみならず、尻尾までしっぽり愛して。
本題の鰻、尾に近い方は酒を掛けオーブンで炙る。
白焼は胡瓜を添えてわさび醤油で。
更に尻尾の辺りは、ワカメ、もずく、胡瓜に三杯酢で鰻ざくのように食す。
真夏の酢は食欲を増進させてくれる。
今宵も鰻に鰻鰻足。鰻鰻菜。鰻鰻歳。
これからも良い素材を得て、う巻き、茶碗蒸し、鰻のスープ、う粽、鰻ちらし、鰻のかっぱ巻き、鰻寿司etc.あれこれ試してみたい。
瞳みのる音楽家・著述家
京都市出身。1946年9月22日生まれ。愛称はPee(ピー)。1967年、ザ・タイガースのドラマーとしてデビュー。1971年に解散後、1年間の猛勉強を経て慶應義塾大学に合格。中国文学の研究のために大学院に進学、さらに北京大学にも留学。大学院修了後は慶應義塾高校で33年間教鞭を執る。2011年から音楽活動を再開し「沢田研二 LIVE 2011~2012」全国38か所のツアーに参加。2013年12月、44年ぶりにザ・タイガースオリジナルメンバーでのコンサートを実現し、8公演で10万人を動員。また2014年に自らのバンド「二十二世紀バンド」を結成。2022年9月23日、「瞳みのるHa・Pee・y Birthday Event 2022 in kyoto(京都)~京都・千本通り物語~」開催予定。