食事は最大の
心身健康のバロメーター。
執筆生活に欠かせない
お取り寄せ
物心ついた頃より食いしん坊で、おいしいものを手軽にいただくことに人生のかなりの部分を割いている。「最近どうも食べ物がおいしく感じられないな」とか「新しいお店開拓への熱意が落ちているな」と思った時は、大抵、どこかの調子を崩しているとき。わたしにとって食事は最大の心身健康のバロメーターである。
ただわたしは根が怠け者なので、世の中の美食家の方々に比べ、「おいしい」と同じぐらい「手軽に」も大切だ。「毎年この時期は〇〇まで〇〇を食べに行く」「あのお店のランチに二時間並んだ」などといった熱意は持ち合わせていないが、「あの店も早朝は行列がないですよ」などと言われると、いそいそと出かけて行く。つまりわたしは常に、おいしさと手軽さの釣り合う場所を探しているというわけだ。
一昨年の夏、大変栄誉な賞をいただき、数か月にわたって身の回りがどたばたした。「忙しくなるよ」とは先輩作家たちから耳打ちされていたが、新型コロナ感染拡大真っただ中とは思えぬ忙しさに、文字通り席の温まる暇もない。一方で日々の締め切りは相変わらず刻々と押し寄せるため、必然的に日常の暮らしの時間は砂に吸い込まれる水の勢いで消えて行った。
自宅の廊下には胡蝶蘭がずらりと並び、文字通り足の踏み場もない。祝電が大きな紙袋いっぱいに詰め込まれて届く光景も初めて見たし、パソコンのメールボックスには返信できていないメールが大量にたまり、様々なご依頼を来る日も来る日もいただいた。家事にはなかなか手が割けず、三度の食事はやっつけ仕事となり、その事実がまたわたしを憔悴させた。
そんな最中、親しい記者さんが「お祝いはなにをと悩みましたが、いまは忙しいでしょうから」と出雲蕎麦と蕎麦つゆの詰め合わせを送ってくださった。茹でるだけで食べられる。ありがたい。めちゃくちゃ助かる。
「ありがとうございます!!!」と感嘆符を三つもつけてメールを送ってから、わたしははたと、これはまずい、と思った。確かに蕎麦は大好物だ。しかしその時のわたしは、いかに簡単に食事を摂るかに必死になっていた。どれだけ忙しいとはいえ、食いしん坊のわたしが「おいしい」と「手軽」のバランスを狂わせているとは。心の栄養が決定的に不足している、と思った。
しかもちょうど世の中は、新型コロナの第五波の最中であった。心の栄養を蓄えにと思っても外出はしづらいし、そもそもそんな時間なぞありはしない。
いや、こうなればどうにか時間を捻出して、手の込んだ料理を作るか。煮込みであれば仕事をしながら並行して拵えられるし、精神的な充足度も高いはず。来週、いや来月であればどうにかそれぐらいの手間は――と思っていたその矢先、思いがけぬ荷物が届いた。文藝春秋の担当さんからの支援物資、文春マルシェ限定「ラーメン凪」の担々麺詰め合わせであった。
文春マルシェの名前は以前から知っていたし、サイトを覗いた折もある。ただあまりに品揃えが豊富すぎて眩暈を覚え、その時はそっとページを閉じてしまった。だが早速いただいた担々麺は冷凍とは思えぬほどパンチのある味で、「おいしい」に飢えていたわたしの全身に染み通っていった。わたしは急いで、再度、サイトを開いた。すべてのページを隅から隅まで確認し、これだ、と思った。
最大のカンフル剤は
「帝国ホテル ブイヤベース」
お取り寄せのありがたさは、全国の美味が気軽に楽しめること。そしてそれが日常を豊かに彩ってくれること。今のわたしが欲しているものは、まさにこの二つではないか。
というわけでわたしはそれ以来、自分の心と身体をいたわるために、定期的に文春マルシェのお世話になっている。お気に入りは数々あるが、「味坊 水餃子」と「夜空のジンギスカン 食べ比べ3種」は常に冷凍庫に入っており、仕事が忙しい時のお助けメニューとなっている。ことに「夜空のジンギスカン」は新婚旅行先に道内十日間の旅を選んだほど北海道好きなわたしにとって、北の大地に行きたい欲求をもなだめてくれる特効薬。味噌・醤油・塩の三種の味はそれぞれ個性的で、お店のあるすすきのの賑わいやどこまでも広がる北海道の空を思い出しながら、柔らかい羊肉を噛み締める。
それでも元気が出ないときは、これはもうわたしにとっての最大のカンフル剤、「帝国ホテル ブイヤベース」の出番だ。もともとわたしはブイヤベースが好物で、食事に入った店のメニューにあれば、ほぼ百パーセント注文する。それが自宅の冷凍庫に入っているという事実だけでもずいぶん仕事を頑張れるし、どれだけ落ち込んだり疲れたりしている時でも、今日は大好きなブイヤベースを食べるんだと思えば、ルイユソースを作り、サフランライスを炊く元気が出る。それらの細々とした家事は、多忙に道を失いかけていたわたしの生活を軌道修正し、訪れる明日へと向かう背をそっと押してくれる。
食べるとはただの栄養摂取ではない。日々の彩りであり喜びであり、人がその人らしい毎日を送るための元気の源だ。それが手に届く場所にそっとしまわれていることが、どれだけありがたいことか。
黄金色に輝くスープ。噛み締めるたびに旨味を吹き出させる魚介たち。柔らかに立ち上る湯気が身体も心も温めてくれる。ああ、美味しい、と思える自分にわたしは安堵し、また新しい仕事へと向かう。

帝国ホテル ブイヤベース
¥9,072(税込)
カートに入れる
- 文中に登場するラーメン凪の商品は、現在終売となっております。
澤田瞳子作家
1977年、京都府生まれ。同志社大学文学部卒業、同大学院博士前期課程修了。2010年に長編作品『孤鷹の天』でデビューし、同作で中山義秀文学賞を受賞。12年『満つる月の如し 仏師・定朝』で本屋が選ぶ時代小説大賞、13年新田次郎文学賞受賞。15年『若冲』で、直木賞候補、翌16年に親鸞賞を受賞。17年刊の『火定』で吉川英治文学新人賞候補および直木賞候補。19年『落花』で、山本周五郎賞候補および直木賞候補。20年『能楽ものがたり稚児桜』で直木賞候補。20年『駆け入りの寺』で舟橋聖一文学賞受賞。21年『星落ちて、なお』で直木賞受賞。同志社大学客員教授。